寒霞渓を守れ!〜新内海ダム対策弁護団 本文へジャンプ
原告(住民)の声

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原告の山西克明さんが、平成21年9月7日に裁判所で述べた意見です。


 私は、今回紛争の対象となっている別当川内海ダムの直下に住むものです。
 当初、このダム計画にはダム直下の北区住民の9割以上の人々が反対でした。小さいころから別当川に親しみ育ってきました。昭和33年〜34年にかけて行われた現在のダムの建設も見届けてきましたし、今般新内海ダムを建設するという話のきっかけとなった昭和51年災害ももちろん経験しています。
 島全体では多くの方々の命を奪っていった大災害でしたが、別当川では比較的被害が少なく今後も安全な川であって欲しいというのは誰もが持つ願いです。その願いは私たちの願いでもあります。

 私たち原告は、本当に必要であって、島民の役に立つダムなら作るべきだと考えています。それは一貫して変わりません。しかし、新内海ダムは真実とはまったく異なる説明によりダムが計画され、貴重な税金が使われる。さらには、そもそもそのダムが本当に必要なのかどうかさえはなはだ疑問であり、十分な説明や議論がなされたとも思えません。

 寒霞渓といえば、日本三大渓谷に数えられる小豆島の象徴です。日本書記にも謳われ、阿豆枳神社を拝する星ヶ城山をはじめ古くから信仰の対象でもありました。
 そして、100年以上も前に外国人に買い取られた寒霞渓を地元有志が私財を投げ打って買い戻した、いわばナショナルトラスト発祥の地とも言えるところなのです。多くの人々に愛され、多くの先人達の努力によって寒霞渓は今日の姿が保たれているのです。

 この寒霞渓を源流として内海湾に注ぐ僅か3996メートルの別当川に、川の全長の15%にも及ぶ447メートルという巨大な堰堤が築かれることとなりました。
 最初は、阪神淡路クラスの地震に対しては現在のダムが危険だから改修する為の調査を行いたいと同意を求められました。ところが、調査が終わると、修理ではなく巨大なダムの建設計画に変わっていました。
 技術的なことはよく分かりませんが、「こんな巨大なものが要るはずがない」というのがそこに住む多くの住民の偽りのない思いです。

 それどころか、事業計画の説明会はダム計画の是非でははく、建設に伴う道路の付け替えなどの付帯工事や見返り事業に関する要望に終始し、本来の別当川の治水、利水がどうあるべきかという議論の場ではありませんでした。私達は当初から公開の場での議論を求めてきましたが、それも今日まで叶うことはありませんでした。弁護士会等の第三者主催によるシンポジウムも提案されましたが、起業者である香川県に受け入れられることはありませんでした。

 事業計画、そしてその手続きの異様さについては、今後法廷の場で主張してまいりますが、その冒頭にあたり申し上げておきたいことは、作ってしまったダムは壊せないということです。
 この時代の私たちの選択は、一公共事業の是非に止まらず、子々孫々にわたり責任が持てるかということが問われているのです。もし必要のないものを作ってしまえば、子々孫々に対して取り返しのつかない巨大な負債を残してしまうことになります。

 起こさずにすむものなら裁判など起こしたくありませんでした。ダムに異議を唱えるということに対して、私自身は言うに及ばず、家族、親族にまで嫌がらせを受けてきました。仕事にももちろん影響がでています。裁判を起こしたことでさらにひどい状況になるでしょう。随分悩みもしました。しかしだからといって、泣き寝入りするわけにはいきません。

 一方で、実に多くの方々が、表には出られないけれど頑張って欲しいと声をかけてくださいます。その思いに支えられ、また、次世代のことを考えると避けては通れないのです。
 原告の中には病床で法廷に出頭することすら叶わない者もおります。また、将来を憂いダムに異議を唱えながら逝ってしまった者達も沢山います。

 地域を分断する公共事業とは何なのでしょうか。それは本当にそこに住む住民にとって必要なものなのでしょうか。強制収用までして建設すべきものなのでしょうか。多くの疑問が頭の中を巡ります。時間もありません。今月10日には、本体工事の入札が行われます。収用法に基づく手続きも急速に進められています。
 本法廷が将来に禍根を残さない公正な判決を下して頂けることを切に願いここに陳述いたします。


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